わたし あたくし わたくし あたし

15歳。自分の思ったこと、感じたことを取り留めなく綴っています。

原因不明の本日未明

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例えば「赤」という色を認識したら、リンゴや憧れの真っ赤なコートや、夕焼けが染み出した茜色の空が思い浮かぶ。それと同じように「赤」という言葉を認識したら、自然と頭の中で赤色のイメージに変換されて、赤という色を認識した時と同じ思考回路が脳内に張り巡らされる。

 

それは当たり前のことだし、それ以上言葉や色に何かを望むのはおかしな話だというのは分かっている。

けれど、そんな「赤」という認識はわたしの中で見せかけの平面でしかなくて、最近、今までずっと必死に手を突っ込んでいた言葉や色の奥行きがだんだんとなくなっていく感覚に陥ることがよくある。

 

 

小さい頃、わたしはよく言葉を詰まらせて呼吸困難になることが多かった。

世の中の摂理や風景や色や言葉の奥行きに手を突っ込みすぎて、思考回路がショートしてしまうような。

でもそれは、わたしが何かを表現する上で不可欠な工程だったし、言葉が詰まる感覚が脳を覚醒させて、それが嫌だと思ったこともなかった。

 

しかしなぜだろう。

 

段々歳を重ねて面白みのない人間になっていくにつれて、いろんなことの奥行きに無闇矢鱈に手を突っ込まなくなったのに、今でもよく、何かに喉を圧迫されて呼吸困難になる。

しかも、小さい頃とは違い、脳が覚醒するどころか身体全体が喉に詰まったその何かを、害のあるものとして排除しようとするようになった。

何かにずっと圧迫されている感覚。

自分から出る表現物は全て偽物で、出しても出してもスッキリしない。それどころかどんどんど壺にはまって、世界が歪んで見えてくる。

 

絵も文章も音楽も、表現というものが一切出来なくなったわたしに大人は言う。

「スランプだよ、それ。」

でも、きっとこれはスランプなんかじゃない。

それじゃあなんなのかと聞かれても答えられないけれど、とりあえずこれはスランプではないと言うことだけはっきりと分かる。

原因不明。治し方も、進行を遅らせる方法もわからない。この話はここで止まったままだから、これ以上書くことはない。

 

 

ー本日未明、福岡県にすむ15歳の少女が言葉を喉を詰まらせ、ノートと鉛筆を抱きしめながら、市内の自宅で死亡が確認されました。

なお、警察は事件性はないとし、少女自身が自分で自分に重い鎖を巻き続けたことが原因とされています。ー