各駅停車
おはようございます、という時間なのは分かっている。
分かっているけれど、人間と同じ。見た目に騙されてはいけない。
どれだけ綺麗な朝日が昇っていようが、雉鳩が群れてにぎやかに歌っていようが、わたしにとってはまだ夜の延長線。
「健康的な朝だな 」なんて言ってみたいけれど、昨日と今日に跨る闇の波に乗り切れずに一睡もできていない。 というわけで、こんばんは、おやすみなさい。 おはようの挨拶は、健康的な朝を迎えた方々とどうか爽やかに行ってください。 (そもそもこのブログに朝が似合わない‥.爽やかのさの字もない‥.)
「健康的な朝だな、こんなときに君の愛してるが聞きたいや」
クマだらけのクリームパンのようにむくんだ顔の私に言えるようなセリフじゃない。
自分から愛を伝える気分でもない。ろうそくを炊く気分でもない。あいみょんの曲のようにドラマチックじゃないグダグダの朝。
今は目が冴えに冴えまくっているけれど、きっとあの電車の心地の良い揺れの中に飛び込んだら、もはや用無しのタイミングの悪い眠気がうかうかやってきて、また今日も電車を乗り越してしまうのだろう。
いつも降りる駅のいくつも先の駅に気づいたら降り立っていて、あーあと後悔しながらもまんざらではない感じで、きょろきょろと辺りを見渡している自分がありありと想像できる。
乗り越しは良くないけれど、境界線を超えるあの感じが好きだ。
降りるべき駅と、その次の駅の間にある境界線。
超えたって大して何にも変わらないけれど、 何かがふと肯定されたような気がしてくる。
教科書も参考書も投げ捨てて。
高校生を脱ぎ捨てて。
さあて、今日の私はどこへ行く。