ニヒリズム
国語のワークに、「アイデンティティ フラストレーション ニヒリズム、それぞれこの三つの言葉の意味を答えよ」という問いがあった。
思わず、あ!っと声を上げてしまいそうになって、慌ててシャーペンの先で指先を強く押す。
ちらりと隣でワークの同じページを解いている友達を見ると、
いつも通りの顔をして、(そりゃそうだ)平然と業務的に問題をこなしている。
でも私は、声を上げるのは阻止できたものの、そこから先の問題にどうしても進めなかった。
脳内では、サカナクションのアイデンティティと、monobrightの涙色フラストレーションが同時に再生されはじめて、錯乱状態に陥る。
こうなったのが聖徳太子だったのならきっと、雰囲気も歌詞も全然違うこの2曲が同時に脳内再生されたとしても、どちらの曲の歌詞もきちんと聴き分けて、勿論ある程度の錯乱状態に陥るとは思うけれど、少なくともワークを破り捨てて、今すぐこんな所から逃げ出してライブ会場で乱れたい、と先生の顔を意味もなく睨みつけている私よりは錯乱状態に陥らずに済んだのだと思う。
脳内でぐちゃぐちゃに混ざって流れる2曲に合わせて、おかしな変拍子で身体が揺れる。
思わず教卓の椅子に座る、貧乏ゆすりをしながら鬼の形相で髪を人差し指に巻きつけている先生と目があってないか、ちらりと確認してしまった。
教卓には、角田光代の「紙の月」が置いてあって、爪を噛むくらいならあの本読めばいいのに、、と思ったが、そんなことよりも今自分の頭のなかで流れている、「アイデンティティ×涙色フラストレーション」の存在感が大きすぎて、すぐに先生のことなどどうでもよくなった。
[話が少し脱線するが、(そもそも何について話していたのかも謎だが)角田光代さんの「紙の月」は本当に素晴らしい。2時間目の休み時間に図書室で借りて、昼休みには一気読みして読破してしまうくらい、作品に引き込まれた。
角田光代さんを尊敬せずにはいられなくなる本なので、読んだことのない方はぜひ機会があれば読んで頂きたい。]
話を戻すが、あと残りの授業時間が5分に迫った時、私はふと疑問に思った。
「アイデンティティ フラストレーション ニヒリズム」と並んでいたが、ニヒリズム という曲は果たしてあるのだろうか、と。
1度疑問に思うと気になって仕方が無くなって、必死に授業が終わるのを待った。
早くコンピューター室に行って調べたい。
時をかける少女にはなりたくないけど、今だけあのワープの力を貸してもらいたいなあなんて思いながら、時計を凝視する。
こんなに時計を見つめていたら、時計の文字盤を覆うガラスにヒビが入るんじゃないかという不安が一瞬頭を掠めたが、まあいいか、と背伸びをした。
背骨がボキボキと音を立てる。
まだ15歳のくせして背骨の音は40代のそれと変わりない。自分の運動不足を悔やむ。
「はーい、あと15秒で授業終わるから、ワーク47ページまで終わってない人は明日までに仕上げてきてねー」
先生が突如ものすごい音を立てて椅子を引いて、そう呼びかけた。
あと15秒ってわざわざいう意味あるか?そもそもあと15秒で‥.って言ってる時点でもう15秒じゃないじゃん、と心の中でツッコミながら、横目でちらりと自分のワークを見ると、41ページ。ニヒリズムの意味を書いたところで終わっている。
「キーンコーンカーンコン‥」
待ちわびていたチャイムが鳴る。
形式上の挨拶をして、私はすぐに教室を飛び出してコンピューター室へ向かった。
「ニヒリズム 曲 」
コンピュータ室に着くや否や、わたしはすぐにパソコンを立ち上げて検索画面にそう打ち込んだ。
あったら聴いてみたい、でも無かったらいいなあ。
そんなことを思いながらマウスの先をグルグル回す。
案の定、「ニーチェの思想」とかそれに準ずる検索結果しか出てこなくて、わたしは思わずガッツポーズをした。
もし私がニヒリズム という曲を作れば、
あの国語のワークの中では、アジカンとmonobrightと肩を並べられる!!
(逆に言えば、肩を並べられるのはあの国語のワークの中以外どこにもないのだが。)
1度再生が止まっていたのに、また「アイデンティティ」と「涙色フラストレーション」が同時再生されはじめて、わたしはなんとも言えない変拍子に合わせて、スキップをしながら教室に帰った。
ブログタイトルを「ニヒリズム」と掲げている割には、全くと言っていいほどニヒリズムに触れていない。
こうゆうのはやっぱり、文章の随所随所でニヒリズム感を出すのがセオリーなのだと思うが、まあしょうがない。ここまで書いてしまったから、今日のところはこれで勘弁してください。
次、です、次に生かします!
(明日宿題持ってきます と同じくらい信用ならない言葉ですが。)