ある少女のはなし
「それはもうね、しょうがないことなんだよ。」
しょうがない。仕方がない、仕様がない、やむを得ない。
なにがしょうがないのか、なぜしょうがないのか、いつしょうがなくなってしまったのか、誰がしょうがなくしてしまったのか、どこでしょうがなくなってしまったのか、どのようにしょうがないのか。
あの人の言う、「しょうがない」の意味がどうしても飲み込めなくて、辞書で類義語を引いてみたり、5w1hに当てはめてみたりした。
けれど、飲み込もうとすればするほどそのしょうがないの所在が分からなくなっていく気がして、飲み込めない「しょうがない」の代わりに、飲み込むのを忘れて口の中で炭酸の抜けてしまったソーダ水をごくりと飲み込んだ。
身長はいくらだってかさ増しできるのに、年齢はかさ増しできない。
見た目をいくら大人っぽく着飾ったって、中身は幼稚な16歳のままで、子供じゃない、と怒っても26歳から見たら私は子供だった。
「16歳には分からないよ」
26歳のその言葉は、私の身体中の精気を吸い取るには充分すぎたらしい。
26歳は無責任だった。16歳には分からないことを良いことに、私を好き勝手に扱った。
「だってかわいいんだもん」
そんな16歳にでもわかるような理由で、「しょうがない」ことを沢山言ったし、した。
「我慢なんかして築く人間関係なんて偽物だから。」
じゃあ、気づかないうちに我慢させられていたけれどそれでも憎めない、失いたく無いと思うこの感情も偽物なのだろうか。
ソーダ水の入ったコップは汗をかいて、テーブルクロスに涙のような丸いしみができていた。
何となく、近くにあったリモコンでそのしみを隠す。
「大人になったら一緒にお酒を飲もう。そしたらきっと、色々わかるはずだから。」
大人になって分かったって意味が無い。
今分からなきゃ意味がないのに、ソーダ水では誤魔化せないほど苦くて重いのに、なす術もなく、ただしょうがなさだけが背中にのしかかっていた。
散々しょうがなさを私に背負わせたのはあの人なのに、結局今、私は1人でしょうがなさを背負っている。
「女性だから」
ともあの人は言った。愛しているけど女性だから、と。
お互いに愛し合っているのに、それぞれが向ける愛の矢印が同じ向きを向かないのはなんでなんだろう。映画みたいな愛に憧れていたけれど、映画みたいなお互いの矢印が完全に同じ方向を向く愛なんてどこにも存在しないのかもしれない、とふと思った。
どうしようもないからどうにもならないのも、どうしようもないけどどうにかなるのも、どちらも愛だから私は困っているのかもしれない。
冷蔵庫から、父と母の晩酌用に買い置きしてある缶ビールを一本取り出して、おもむろに口に流し込んだ。
酔いに酔いたくて、16歳を脱ぎ捨てたくて、吐き出しそうになるのを堪えてどうにか飲み込もうとする。
ビールは苦いものだとずっと思っていたけれど、苦いというよりそれは、ただただ臭くてざらざらとしていて、喉の奥に詰まっていたものがやすりにかけられたように表面上だけなめらかになって、消化不良のまま身体の中を巡っていった。
口の中に微かな甘さを感じる。
あの人に少しでも近づきたかったはずなのに、近づいたら近づいたで離れたくなった。ずっと大人だと思っていたあの人は、憧れていたあの人は、実はそんなに大人じゃなくて、触れたら折れてしまいそうな赤ちゃんの指のように脆くて痛かった。
そう思うともう、缶の中の黄色い液体はもうなんの意味も為さなかったし魅力も感じなかった。
臭くてざらざらとしていて痛くて脆い大人の味をかき消すために、残りのソーダ水を一気飲みした。
私はまだ幼稚な16歳でいたい。
缶ビールの残りをシンクに流しながら、しょうがないことをどうしようもなく考える。
あの人のいう「しょうがない」の正体を暴きたいと思っていたけれど、しょうがなさに正体なんてなくて、「しょうがない」、それが全てなのかもしれないなと思った。
私は今まで知らなかったけれど、悲しさや怒りや喜びや楽しさと同じように「しょうがない」という感情は確かに存在していた。
その、「しょうがない」という感情が引き起こされた理由はあるにしろ、しょうがないという感情そのものに理由などないような気がした。
私もあの人も、お互いにしょうがなさを背負って生きている。
時間が巻き戻せるなら、生まれるよりも、受精卵になるよりもまだまだずっと前に戻りたい。
自分を作り直したい。どうして私は16歳なんだろう。性別が逆ならば良かったのだろうか。
私は今日もしょうがなく、どうしようもなく、あの人のことを愛している。